JUGEMより引っ越しました。最近はもっぱらツイートメインですが、長い文章を書きたいときに更新します
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
チリンの鈴・ちいさなジャンボ・バラの花とジョー【やなせ・たかし原作】 [DVD] やなせ・たかし サンリオ 2010-05-07 売り上げランキング : 50198 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
先日、爆問学問のゲストがやなせたかしさんで。結論から言えば、『爆笑問題を翻弄する92歳』を堪能し、大変面白うございました(笑)
話の内容は、やなせさんの人生経験から生まれた『アンパンマン』と言う哲学で、本で読んだり他のTVで観たりしていた内容とほぼ一緒だったんですが、やはり「本人の言葉で聞く」のは訳が違いますね!
「正義はある日突然逆転する」
「自分は傷つかないまま正しいことを行うのは難しい」
「強いからヒーローなんじゃない。(人を)喜ばせるからヒーローなんだ」
とかとか。
言葉のひとつひとつは重いけど、明快で心地いいものでした。
さて、その後『やなせたかし』で検索したら、驚愕の事実が発覚しまして。
『チリンの鈴』の原作者…だと…!?」
公開された劇場用アニメを何かで観て(何せ昔のことなので、よく覚えてない(笑))、あまりの救いの無さに記憶の奥に封印してしまった、私にとってのいわくつきの作品です。
それが今になって封印が解けた、というのは、何かの縁でしょう(笑)
で、今一度、改めて観直してみたんですな。
以下、ネタバレありますのでご注意。
驚いたのはチリンの心情の複雑さ。一見して『言動に一貫性が無い』と思えるほど、揺れ動き続けているんですね。
母親を殺した狼への復讐心。
その狼の強さを認め、力を欲する貪欲さ。
師である狼を慕い、やがて父と思えるようになったこと。
父と思えるはずの狼を、やがて突き殺さねばならない結末。
なぜ強くなりたいかといえば、
母親の仇を討つため、そして
ただただ怯え、逃げ回ることしか出来ない羊=自分自身への嫌悪。
母の仇である狼に、師を乞う矛盾の意味。
力への渇望と、亡くした親の思慕の両方が混ざり合い、小さな身体に、大人すら解決できない矛盾をいっぱい押し込み。それらの全ては、「狼になりたい!」の叫びが象徴する。子供ゆえに、純粋に狼を追うチリンの行く末は、今となっては破滅しかないと分かるのですが。
力を求めた結果、望み通り母親の仇を討ったものの、全てを失ったチリン。ラストのチリンの嘆きに、大人、あるいは大人を気取る子供なら「自業自得」と切り捨てるでしょう。確かにその通りですが、ただ、あの『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかしさんは、紋切り型の解等を求めていない、とも思えるのです。
やなせさんは、なぜ、この話を『子供向けの絵本』にしたんだろう。そりゃあ、そういう仕事だから、ではあるのですが。
このお話しからは、さまざまな『教訓』を読み解くことができるけれど、教訓で終わらせるのでは、ただの説教になってしまう。このお話しには、それを感じさせないドライさがあります。ドライと言っても、無責任に突き放すことではなく、チリンの慟哭さえも『肯定』している、奥の深さというものでしょうか。それがあるような気がします。
チリンの悲しみを肯定する、ということは、つまり、読み手である子供達の心を肯定するのと一緒だから、なのかもしれません。読み手は、チリンに感情移入し、チリンと共にあのラストを迎える訳ですから。送り手として、これほど勇気が必要なものは無いと思うのです。
物語は、確かに辛辣で厳しい終わり方です。子供の自分が記憶の奥に封印していたのですから、確かです(笑)
ただ、あのチリンの孤独を、真っ直ぐ受け止めてくれるだろうと言う『信頼』がなければ、こんなにも厳しくつらい話を子供達に向けて書くことはできないのではないか、と、うっすら思うのです。
これを描けるやなせたかしと言う作家の強さ(つよさ、そしてしたたかさ)に、改めて恐れ入るばかりです。ほんと、すごいわあ。
追記:
『超円盤ゴミBLOG』様に、『十二の真珠-ふしぎな絵本-』に収録されている、絵本とは別の『チリンの鈴』の原型のお話しが紹介されていました。
確かに映画版より洗練された印象は受けますが、救いの無さをいっそう濃くした内容な模様。やなせたかしぇ…
母親を殺した狼への復讐心。
その狼の強さを認め、力を欲する貪欲さ。
師である狼を慕い、やがて父と思えるようになったこと。
父と思えるはずの狼を、やがて突き殺さねばならない結末。
なぜ強くなりたいかといえば、
母親の仇を討つため、そして
ただただ怯え、逃げ回ることしか出来ない羊=自分自身への嫌悪。
母の仇である狼に、師を乞う矛盾の意味。
力への渇望と、亡くした親の思慕の両方が混ざり合い、小さな身体に、大人すら解決できない矛盾をいっぱい押し込み。それらの全ては、「狼になりたい!」の叫びが象徴する。子供ゆえに、純粋に狼を追うチリンの行く末は、今となっては破滅しかないと分かるのですが。
力を求めた結果、望み通り母親の仇を討ったものの、全てを失ったチリン。ラストのチリンの嘆きに、大人、あるいは大人を気取る子供なら「自業自得」と切り捨てるでしょう。確かにその通りですが、ただ、あの『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかしさんは、紋切り型の解等を求めていない、とも思えるのです。
やなせさんは、なぜ、この話を『子供向けの絵本』にしたんだろう。そりゃあ、そういう仕事だから、ではあるのですが。
このお話しからは、さまざまな『教訓』を読み解くことができるけれど、教訓で終わらせるのでは、ただの説教になってしまう。このお話しには、それを感じさせないドライさがあります。ドライと言っても、無責任に突き放すことではなく、チリンの慟哭さえも『肯定』している、奥の深さというものでしょうか。それがあるような気がします。
チリンの悲しみを肯定する、ということは、つまり、読み手である子供達の心を肯定するのと一緒だから、なのかもしれません。読み手は、チリンに感情移入し、チリンと共にあのラストを迎える訳ですから。送り手として、これほど勇気が必要なものは無いと思うのです。
物語は、確かに辛辣で厳しい終わり方です。子供の自分が記憶の奥に封印していたのですから、確かです(笑)
ただ、あのチリンの孤独を、真っ直ぐ受け止めてくれるだろうと言う『信頼』がなければ、こんなにも厳しくつらい話を子供達に向けて書くことはできないのではないか、と、うっすら思うのです。
これを描けるやなせたかしと言う作家の強さ(つよさ、そしてしたたかさ)に、改めて恐れ入るばかりです。ほんと、すごいわあ。
追記:
『超円盤ゴミBLOG』様に、『十二の真珠-ふしぎな絵本-』に収録されている、絵本とは別の『チリンの鈴』の原型のお話しが紹介されていました。
確かに映画版より洗練された印象は受けますが、救いの無さをいっそう濃くした内容な模様。やなせたかしぇ…
PR
この記事にコメントする